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一法句 仏教を生きる

この度の降誕会は、親鸞聖人がお生まれになったことをご縁とした御法座です。
親鸞聖人は、西暦1173年にお生まれになったとされています。しかしそれを示す記録は見つかっておりません。当時はもちろん戸籍など無く、よっぽど有名な人の子どもでないと誕生日を知ることが出来ません。亡くなった日から逆算して生まれた年を計算したそうです。
親鸞聖人が生きた時代は、去年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」と同じ時代でした。社会の構造が激変し自然災害も頻発した大変な時代でした。親鸞聖人の父親は何があったのか記録はありませんが、半分隠遁生活を送っており、家族は親族に支えられながら何とか生活が出来ていたようです。親鸞聖人は9歳にして出家をします。仏教に対する思いもあったとは思いますが、私はいわゆる口減らしのために、長男として考えたところもあるのではないかと思っています。

親鸞聖人は比叡山に行き仏教の修行を始めます。ご存知のように比叡山天台宗を開いたのは伝教大師最澄です。中国へと渡り仏教を修めてきたのは、皆さんご存知のことと思います。しかし、「密教」を大事にする今の天台宗と違い、最澄師自身は「大乗」を大切に受け止めておられました。「大乗」というのは、簡単に言うと仏教を知らず迷っている人たちに手を差し伸べ、ともに仏教によってより良いいのちを生きていこうとする、ということだと思います。
親鸞聖人はそのような道を進んでいこうと一生懸命に二十年間も修行をされました。しかし、修行をすればするほど自身の欠点や問題が気になり、天台宗で目指すような困っている人を救える人物に辿り着かない自分に幻滅をされていかれました。そして出遇ったのが、法然聖人の説かれる阿弥陀仏のお救いでした。
私は、親鸞聖人が法然聖人の教えに出遇われて慶(よろこ)ばれたのは、そのような比叡山でのことを考えると、お念仏一つで救われるということもですが、このいのちが終わった時に必ず仏と成れる、それも大乗の仏と成れる、ということなのではないかと思うのです。そのお救いに支えられ、比叡山で断念した「皆とともに仏教を大事にしてより良いいのちを生きていく」ことを、自分の出来るところで大切にしながら、90歳までの人生を生きられたと思います。自分しか大事にしない、人がどうなってもいいと思っている人たちが、そんな生き方で問題ないと考えているところに危機感を覚えます。
もう一度、親鸞聖人が大事にされた思いを考えていきたいものです。

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