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一法句 愚者(ぐしゃ)になる

2022年 3月 春彼岸法座 寺報より

先日の医師銃殺事件は、色々とショッキングであり、現代のさまざまな歪みを考えさせられる事件だと思います。まだ捜査中の事件ですし、聞きかじることくらいの様子しか分かりませんが、この犯人は色々と問題があった方のようで、医療機関とも問題のある言動を繰り返していたそうです。しかし本人はその多くは母親孝行の為だというのです。

親孝行は美徳ではありますが、何をやってもいいというのは違うと思うのです。犯人は自分が親孝行という正しいことをやっているつもりだったのでしょうが、結果は人の命を奪うことになりました。「親の為に何でもやる」→「親の為に何をやってでもかなえる」→「周りも自分の親の為に全てをかなえるべきだ」となると、周りに迷惑をかける自分勝手な行動でしかありません。

善いこと、正しいことが、独りよがりの善、自分勝手な正義にならない為には、自分や自分と同じ考えの人たちだけで話していても仕方がありません。だからといって反対の意見が正しいわけでもありません。話は端折りますが、その善や正しいを学び、行動に移していくのが仏教という教えなのです。

親鸞聖人の師匠である法然聖人は、「愚者になりて往生す」とよく言われていたようで、親鸞聖人はそのことを生涯大事に生きていかれました。阿弥陀様のお救いに出遇うと「愚者」となるというのは、どういう意味でしょうか。この「愚」は愚直の意味です。仏教の示す「正」に真っ正面から向き合って、自分の正しくないところを言い訳をせず受け止め、こつこつと正しいことをやっていこうと努力を続ける人のことを「愚者」というのです。そんな愚者となって、実直に人生を生きていこうとするのが浄土真宗の門徒といえます。どうぞお寺にお話し、阿弥陀仏のお救いの話を聞きに来てください。

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