一法句 数珠つなぎ

一九九五年一月十七日、私は京都にいました。その日は大学へ行き修了するための論文を提出した日でした。帰ってきてテレビを見た時の衝撃は、今でも鮮明に憶えています。
神戸・淡路大震災は「ボランティア元年」と呼ばれ、その後起こった震災などの災害の時には、多くの方がボランティアに行かれるようになりました。しかし、元年と呼ばれるように、ボランティアをどのように、何を、どうしたらいいかほとんど分からず、テレビで写ったところに人や物が押し寄せるだけで、本当に困っている方々のところにまで、善意の手が届いたのはずいぶんと時間が経ってからでした。
今回の熊本地震では、善意の手がスムーズに機能しているのを見てうれしくなりました。多くの方が、色んなアイデアで自分たちの出来る方法で、被災された方々のために行動されておられます。たくさんの困ったことがあり、被害を受けた方々はまだまだ大変な生活をされておられますが、神戸の時は一ヶ月経っても状態が変わらない避難生活をされていたのに比べれば、皆さんの善意がすでにちゃんと届いていると感じたのです。
またボランティアで行かれる方の中には、能登や東日本などで震災の被害にあった方々もいらっしゃいます。「自分たちが助けてもらったから恩返しのつもりで」と話されているのをテレビで見ました。自分が人から助けられた時の感動が、ボランティアをする原動力になっているということなのでしょう。この感動が原動力になるというのは、とても大事なことだと思います。今回助けられた方々がその思いを胸に、次にどこかで誰かを助け、また助けられた方がどこかで誰かを助け、、、と、誰かの役に立ちたいという善意は、数珠つなぎで続いていくようです。

人のためになることをしたい、誰かを楽にしてあげたいという心を仏教では、「慈悲」といいます。仏教で説く正しいものの見方を通して、どのようにしたらその人の困っていることを無くしていけるだろうかと考えていくのです。親鸞聖人は、阿弥陀仏を究極の慈悲の仏であると受け止められました。阿弥陀様のお救いに本当に出遇った方は、阿弥陀様のそのお慈悲のお姿に感動し、自分も「阿弥陀様のようには出来ないけれど、何か人のことを考えて行動出来るようになりたい」と考えるようになると思います。また、そのような方の行動で心が楽になった方が、また次のご縁につながり、、、と、阿弥陀様のお救いはひろがっていきます。阿弥陀様の慈悲の心が、私達の善意のもととなり、ボランティアに限らず日常の中の小さな手助けを心がける人間に成長させてくださいます。
親鸞聖人は、「自分のことしか考えていない私という人間が、阿弥陀様の働きによって他の人の幸せを考え行動していることこそ、人知を超えた素晴らし事であります」とおよろこびになられました。
私達も、ご法話を聞き阿弥陀様の慈悲のお心を少しずつでも受け止めていきましょう。秋のお彼岸法座にどうぞお参りくださいませ。

『正覚寺報 第295号 2026年 秋彼岸法座』掲載

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