一法句 正しくコツコツ

今年もとても暑い夏になりました。私の小さい頃は(もう私も五十六歳になりますので、約半世紀も前の話しです)、ここまで暑くなかったとおもいます。外で遊ぶのも楽しかった記憶があります。熱中症とか余り考えていませんでした。今の子どもさんは夏休みを楽しく過ごす事が出来ているのでしょうか。

楽しくない事といえば夏休みの宿題でした。私は、昔からコツコツと何かをする事が苦手で、漢字の練習などは苦痛でした。あの時きちんと練習をしていれば、もっと字もきれいに書けた だろうと後悔しています。「この漢字を十回書きなさい」などという宿題は、十回書けばいいと適当に書いていましたが、今考えるとこの宿題は「この漢字を( きれいに) 十回書きなさい」という意味だったのだと思います。何でもそうだと思いますが、努力する事は大事ですが、正しく努力出来ているかのほうがもっと大事なのではないでしょうか。

お釈迦様は最後の言葉として、「・・・・怠ることなく修行を完成なさい」と言われたとお経に残っています。修行というと、滝に打たれるなどというイメージがありますが、お釈迦様の修行とはずいぶんと違います。お釈迦様の修行というのは、お釈迦様があきらかにされた仏の教えに従い、煩悩に影響を受け間違った行いをする私自身を修正し、正しい行いをしていく事です。同時にお釈迦様は、煩悩というのは人間自身から生じるものなので、私の生きている間は無くなることはなく、次々と生じていくものだということもお諭しくださっております。修行を完成するというのは、いのちが終わるまで自分の行いを修正し続けながら生きていくことだと思います。

そのように、正しいことを大事にしながら、少しずつ少しずつ怠ることなく努力を続けていくことを「精進(しょうじん)」といいます。この精進というやり方は、仏教のことだけではなく、色んなことでも大事なことではないかと思います。ついつい私達は、少しやっただけです ぐに効果が出ないと止めてしまったり、とにかくがむしゃらにやれば何とかなると思ったりしています。それは私の漢字の練習のように、結局は「やった」「がんばった」事だけ が残り、なんの成果も残らないことになるでしょう。

現代社会はインスタント社会と呼ばれ、何でもすぐにパッと出来ないと価値がないとされています。そんな時代だからこそ「精進」というやり方を大事にしていただきたいと思います。

『正覚寺報 第289号 2025年 お盆』より

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