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一法句 旅路

今年の春は天気が激しく移り変わり、体調を崩す方も多いかと思います。亡くなる方も多く、お葬儀の連絡も続いております。皆様も気をつけてお過ごしください。
さて、先日ある葬儀で久しぶりに懐刀(ふところかたな)がありました。お棺の中のご遺体の胸の上に細長い布製の袋が置いてあるのを見た方もあるでしょう。さすがに本物の刀ではなく木でできた物です。「死装束(しにしょうぞく)」というのをご存知でしょうか? この頃は、お棺の中で着ていただいてる服はその方の一番好きな服やいつも良く着ていた服などさまざまですが、昔は死装束というのを用意されていました。その小物の一つが懐刀です。この死装束は、いわば江戸時代の旅をする時の姿です。時代劇に出てくるような手甲や脚半などを付け、万が一の時に身を守る為に小刀を身に付けていました。その小刀を懐刀といいます。
「死出の旅路(しでのたびじ)」という言い方があるように、いのちが終わったらこの世を旅立って、どこか(宗教によってそれぞれ違いますが) まで旅をするというようにとらえているのでし ょう。その旅も安全安心なものではなく、危険の多い中を進んで行かなければなりません。もしかしたら辿り着かないかもしれません。他のご宗旨で「引導」を渡すところがありますが、それは、正しく目的地まで安全に辿り着くように、指導をしているということだそうです。
ところが、浄土真宗の葬儀で懐刀を使う事はありません。結論から言うと浄土真宗の阿弥陀仏のお救いは、いのちが終わった瞬間にお浄土へと生まれさせていただくので、旅をする事が無いからです。元気な時からお寺にお参りをしてご法話を聞き、仏教の教えを受け止めている方ならともかく、そうではない方がいのちが終わったからといって仏教の教えを信じるでしょうか?信じたとしても間違いなく受け止め、正しく目的地まで辿り着く事が出来るでしょうか?
親鸞聖人は、阿弥陀様のお救いを「摂取不捨」とお経に出てくる事を大変よろこばれました。この言葉に注釈を付けて「(阿弥陀様は) 逃げるものを追いかけて捕まえられ、絶対に捨てられない(ように救う)」(意訳) と書かれております。
放っておけば、生きている時もいのちが終わってからも、迷いっぱなしになってしまうような私達の事をよくよくご存知の阿弥陀様は、阿弥陀様の方から直々に私達のところに来て救いの手を伸ばし、いのちが終わったその瞬間が目的地のお浄土であるというお救いをしてくださるのです。ですから、私たちは迷う暇なく目的地であるお浄土へと着きますので、旅支度をする必要はありません。そのような心配をしなくても良いのです。
どうぞ、お寺の行事にご参加いただき、阿弥陀様のお救いのお話しをお聞きくださいませ。

正覚寺寺報 288号 掲載

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