一法句 認めあえる仲間

今年は冬季オリンピックの年です。というか、この寺報を皆さんが読む頃にはすべての日程が終わっていますので、「… の年でした」となることでしょう。この原稿を書いている時は、開会式が終わっただけですので、色々と楽しみにしております。
その開会式をネット配信で見ましたが、とても良かったです。古代ローマから続く二千年以上の歴史と、ルネサンスなどのように新しいものに挑戦する北イタリアの文化がよく反映され、おしゃれで少しコミカルな楽しい開会式のパフォーマンスでした。 また「ハーモニー(調和と訳したら良いのでしょうか)」というテーマだったそうで、世界にあふれている不和に対して、押し付けがましくなく調和の素晴らしさを音楽やダンスなどを通じて表していたことも良かったと思います。久しぶりに素晴らしい開会式だったなと思いました。
また選手の入場行進も、選手がリラックスして楽しそうにされていたのも印象的でした。いつも思うのですが、夏季オリンピックに比べて冬季オリンピックは、アットホームな雰囲気で、選手の皆さんが参加できている喜びが笑顔にあふれているのをみると、こちらも楽しくなってきます。試合の時も、お互いに親しそうに健闘をたたえあっている様子を見ることが多い気がします。解説を聞いていると、出場している選手はみんな世界を転戦していて、知り合いばかりなのだそうです。
「スポーツの試合は相手があってこそできる」ということを聞いたことがあります。考えてみると、お互いにそのスポーツが大好きで、試合になるように相手をしてくれるのですから、対戦相手は憎 き敵ではなく、いわば同士だといえるのではないでしょうか。もちろんそうではないこともあるの でしょうが、冬のスポーツは野外で行うものが多く、天候や自然条件が厳しい中で行う試合だから でしょうか、選手同士の仲が良いことが多いように感じます。

このように、同じものを大事にしている仲間がいるということは、仏教でも大事なことです。
仏教の三つの宝「仏法僧(ぶっぽうそう)」という言い方があります。この僧とはお坊さんのことではありません。正しくは「僧伽(そうが)」です。インドの古代の言葉で集まりをあらわす「サンガ」に漢字を当てて「僧伽」略して「僧」といいます。
私たちに正しい教えを説き導いてくださる「仏」、そのあきらかにしてくださった正しい教えを「法」、そしてその教えをよろこび実践して自分の生きる道にしている人たちを「僧伽」というのです。
つまり、教えだけがあっても仏教は成立せず、その教えに出遇って生きることを大事にしていこうとする人たちがいて、初めて意味があるということです。
仏教を同じように大事にしている人と出遇えた時、そのよろこびは大きなものと言えます。親鸞聖人は、「御同行(おんどうぎょう)」と「御」の字をつけて尊ばれました。お寺にお参りして阿弥陀仏のお救いのお話を聞き、「ああ、阿弥陀様のお救いは本当に素晴らしいなぁ」とよろこぶ時、「そうそう、そうですよねぇ」を言ってくれる仲間がいれば、そのよろこびは何倍にもなる気がしますし、もっと阿弥陀様の教えを大事にしていこうという気持ちが強くなると思います。
いつか、そんなことに出遇えると思います。そのことを楽しみにしていただき、どうぞ、お寺にお参りいただき、ご法話をお聞きくださいませ。

『正覚寺報 第292号 2026年 春彼岸法座』掲載

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